溪口郷三畳渓天台殿スケジュールに追加
最終更新時間:2017-11-08発表機関:企画科
「天臺殿」主任委員会長劉勝仁氏は、天臺殿の起源について、次のことを語った。明神宗万暦年間1572年、浙江省天臺県「福龍」という所の賢人たちは海を渡って、台湾に開拓しに来た当時、「玉皇大帝」を持って来て、現在の畳渓村三畳渓に供養したそうだ。清康熙年間、先人の劉成功氏が廟を建てられ、江有財氏に施工監督を委任し、完成した後「拝亭」を名付けられた。
廟誌によると、清康熙22年6月(1683 AD)、康熙帝は台湾に3つの「玉皇大帝廟」を勅令で公布した。それは、台南に金身を持っている「玉帝廟」と、台中に令旗を持っている「玉帝廟」と、嘉義に唯一玉旨、詔書及び玉皇大帝玉璽を持っている「天臺殿」の3つである。その中に、「天臺殿」に供養している「玉皇大帝」は、最も古いのである。三畳渓の早期には僅か16軒家で、上庄と下庄を分けられていた。毎年萬寿大典の時、公開の儀式(擲筊)で「爐主」、「頭家」を決めて、当選した「爐主」、「頭家」が来年の各お祝い行事を主催するという伝統がある。今もこの伝統を守り続けられているのだ。
時代の変遷により、お祝い祭事も新しい流行元素を取り入れた。今最も流行っている「電音三太子」もこの「天臺殿」万寿大典に来てもらい、そして伝統的な人形劇、オペラなどのエンターテイメントも勿論欠かせない。それから、古き伝統に従う「辦仙」で、いよいよ祭りクライマックスを迎えるのだ。年初八子時に祭りが終了後、初九に、玉皇大帝のパレートで、信者たちは福を招く。