民雄郷国家放送文物館スケジュールに追加
最終更新時間:2018-04-12発表機関:企画科
中央放送局に属している民雄支局は、日本統治時期の名称は“民雄放送所”といいます。当時の殖民政府は、民衆が南京政府による中央放送局の番組を聴くことを防ぐため、また南進軍事および心理戦を進めるために、民国26年(1937)末、嘉南平原にある民雄地区の広大な水田地帯を放送局の建設基地とし、その3年後には壮大な送電装置によるラジオ局、民雄放送所を完成させました。また大規模な送信設備を施設するほかに変電所や宿舎も建設。それに加えて高さ206メートルもある(およそ70階建てビルディングの高さと同等)T型アンテナ塔2つを建設し、このツインタワーの壮大な外観は当時誰もが知るランドマークとなりました。装置年齢が70年を超えた日本のNEC製MB-15A中波送信機は、まだ稼動することはできますが、あまり効率的ではないため現在は使われていません。 抗日戦争勝利(1945年)の後、民雄放送所“およびその一切の設備は国民政府の委託により中国放送株式会社(旧中央ラジオ局による改編)に接収され、管理することになり、“台湾ラジオ局民雄放送室“に改名されました。その後 中央放送局の呼称を使い続けることで、中国本土の同胞に対する支援を呼びかけ続け反共宣伝を展開しました。民雄放送室はこれをもって“総督府による殖民統治のプロパガンダ “から、大陸に向けた反共プロパガンダへとその政治的役割を公式的に変化させていったのです。 現在 民雄放送所“は、“放送文物館“として再出発し、対外的にも開放され、放送博物館としてだけではなく、その特別な建築様式により嘉義の代表的な歴史的建造物として、台湾の歴史百景のひとつとして選出され、国民が歴史に接触する機会を提供することによって、価値の高い歴史建造物となりました。民国93年(2004)には文化建設委員会による地方文化館の展示にも加えられ、70年もの歴史ある電波発信設備、大型真空管、ラジオ放送のスタジオなどをそこに展示することで、民衆が施設のなかで様々な放送関連の文物を観覧できるほか、レコーディング体験やラジオ局の運営状況を見学することなどもできるようになりました。娯楽と教育を同時に行える体験型の博物館として、また両者の相互作用が十分発揮できる体験の場として、多くの来訪者に喜ばれています。 国家放送文物館のウェブサイト:http://museum.rti.org.tw、 国家放送文物館のブログ:http://museumms.blogspot.com 国家放送文物館facebook:http://www.facebook.com/museumms