民雄郷慶誠の宮スケジュールに追加
最終更新時間:2017-11-08発表機関:企画科
慶誠宮、古い名前は媽祖宮、清嘉慶年間に建てられ、2~300年の歴史を持ちます。嘉慶皇帝が台湾に旅行する時に、「打猫」という民雄地区の「天上聖母-媽祖」に保護され、その神の恩恵を感念し、寺を建てる資材を賜り、中国有名な寺建てる師匠を台湾まで招き、寺を建築しました。そのため、台湾でただ一つ清嘉慶君に敕封される媽祖宮であります。 主に"大媽-おばさん"を祀り、神学地位が高く、民雄地域の信仰中心だけでなく、雲林、嘉義、台南3県の共通信仰の聖なる寺院です。日本明治39年(1906年) 3月17日、台湾大地震で慶誠宮が倒れ、政府が強制にお寺の敷地が道路使用のため徴収され、媽祖の神像は暫く民雄鄉大士爺廟の後ろの殿に置かれました。媽祖の神像が自分の宮殿がなくなり、信者が無力感を覚えるようにしてきました。毎年、媽祖の誕生日の時、駕籠はさまようように古い寺に着いたら、未練のまま離れたくない、媽祖にも数回はシャーマンによって、法令を作ったり、指令を下る詩を伝え、民国100年(2011年」内にお寺を再構築するよう願っております。民国88年(1999年)、信者が再建委員会を成立し、積極的に寺を作り上げる資金調達をし、それが5年の歳月を要し、ついに完成しました。