太保市県定魚寮遺跡スケジュールに追加
最終更新時間:2017-11-09発表機関:企画科
当遺跡の発見は約1940年頃、鹿野忠雄氏の「東南アジアの民族学先歴史学の研究」の中に記載され、そこで魚寮型遺跡と命名されました。 遺跡は2層の異なる時代の先史文化の積み上げて、下層には縄紋赤陶文化牛稠子のタイプで、上層の先史文化は大湖文化魚寮のタイプです。
魚寮遺跡とは、嘉義平原地区に最初発見された先史遺跡の中の一つで、遺物の内容はとても豊富で、文化の特徴もとても独特で、考古学上に非常に重要な研究価値があります。魚寮遺跡は文化期相の代表性がもっておて、嘉義平原地区の新石器時代末期の先史文化の容貌を代表することができるため、県定遺跡と決めることになりました。 遺跡の範囲はとても広くて、しかも出土した遺物もとても豊富で、早期と末期の違う文化層両方とも含まれているのです。中には、上層の魚寮タイプの出土遺物が特に豊富で、代表的な地域文化の意味が持っています。