六腳郷蒜頭糖工場工場村スケジュールに追加
最終更新時間:2017-11-08発表機関:企画科
1906年、日本人が朴子渓中流の南岸に「明治製糖株式会社蒜頭製糖所」(光復後は蒜頭糖工場に変更)を設立し、新しい集落-工場村ができ、会社の設立とともに近隣地区にも変化が生まれました。古い集落の土地は剥奪に遭い、蒜頭糖工場の設立で、付近の住民に就業の機会が与えられ、製糖工場と近隣地区に経済的な従属関係が生まれました。日本統治時代の蒜頭糖工場に「明治宝庫」があり、光復後は「台糖宝庫」と呼ばれました。
工場村は、俗名や愛称ではなく、糖廠村こそ愛称です。それは、この村は日本人がこの地で製糖を行って次第に形成された集落だからです。繁栄していた頃は、10分で歩き終わるほどの村に、市場、理髮店、医務室、小学校等がありました。蒜頭糖工場との関係がこのように密接であることから、現在の村の大部分が台糖の古い社員であることは用意に想像がつきます。