新港郷歴史建築新港台糖復興鉄橋スケジュールに追加
最終更新時間:2017-11-08発表機関:企画科
旧名:台糖嘉北線五分仔鉄道及び北港渓鉄橋
台糖「嘉北線五分仔鉄道」は、大日本製糖株式会社(台糖公司北港糖工場)が経営し、嘉義北港間を運行していました。明治44年に始まり、収穫期間は原料のサトウキビを運び、普段は肥料や工場のリジェクト品を運んでいました。その後、縦貫線に連結し、農産品、生活用品等の輸送の任務を担いました。嘉北線は北港朝天公と新港奉天宮の参拝客が増えるにつれ、糖鉄の黄金路線となり、また、沿線の住民の出入り、学生が通学で利用する重要な交通機関となりました。レール幅が世界の鉄道の基準の半分だったことから、通称「五分仔鉄道」と呼ばれた糖鉄は、製糖業の発展とともに南陽平原の開発を促し、製糖業の運輸鉄道もまた南部の沿線郷鎮の重要な命脈となりました。